この扉一枚




大きく一つ息を吐く。
目線は自分の足元に固定されたまま。
この廊下の白さも、扉の位置も形すらも、千秋は完璧に覚えてしまっていた。
一度もドアを開けられないままに。






今でも。
あの日の情景はすぐ脳裏に甦る。
整いすぎた顔立ちの青年から告げられた、事件の真実。
その時の先生の服の色も、声も、表情も、全部覚えている。
あまりにも鮮明に。
忘れさせてくれないくらいに。




私は、犯人ではなかった。
周りが皆、私を犯人だと疑っていても。
自身に身に覚えのない事で責め立てられてありもしない罪を自白するほど私はお人好しではなかった。
だから、周りの生徒との距離は取り返しのつかないほどに広がってしまっていた。
もう、ほんとうに、どうしようもないほどに。




そんな中で。
先生だけは、私の側に居てくれた。
学校中から攻撃された時も必死でかばってくれた。
普通、いくら顧問の先生だからってあそこまでできない。
それくらい、必死に守ってくれた。

感謝してる。
本当に、感謝している。




恵先生が、私の中に昔の自分の幻影を見ていただけだと分かった今となっても。
本当に、感謝している。





大きく息を吸う。
今日こそ顔を上げてやる。
病院の個室。自分の目線より少し上に記載されているであろうネームプレートの名前。
確認するのが、怖かった。




恵先生は優しかった。
少なくても、私にはいい先生だった。
他の誰がなんと言おうがいい先生だった。
同情でよかった。充分だった。
学校という限られた空間で生活していかなくてはならない私にとって、救いだった。唯一の。
先生は、ほんとうに大切な人だった。





たとえあの事件の結末がこんな形だったとしても。
それでも、それでも、私は。





何度目か分からない深呼吸をする。
この扉の向こう。
先生は確かにここにいる。








あのね、先生。
今日、卒業式だったんだよ。
私やっとあの高校卒業したんだよ。
先生のおかげだよ。
先生がいなかったら私、卒業なんて絶対無理だった。
この制服とも今日でお別れ。
春からは大学生になるんだ。
卒業証書もちゃんと貰ってきた。
今、私の手の中にある。





卒業するということは、
私と先生の接点がなくなるという事。
もう、あの生物準備室の扉を開く事もなくなるということ。

もしかしたら、その方が良いのかもしれない。
私にとっても。先生にとっても。






だけど。
だけど。







『気にしなくていいのよ。
 貴方が悪いんじゃないんだから。』










ねえ先生。
あの言葉も嘘ですか?
あの優しい言葉も、穏やかな時間も、全部、全部、嘘なのですか?




深く、深く息を吐く。
手の中の卒業証書を握りしめる。
あの笑顔も、優しい言葉も、全部まだ私の中にある。




この扉一枚。
開けられないまま私は、大人になんかなれない。


足元から視線を上げる。
目の前の白い扉。
超えられないまま卒業なんか出来ない。

大好きなの。
一言「ありがとう」って、伝えたいの。





今でもずっとずっと大切なの。
『大切だった』なんて過去形になんかしたくない。
過去形になんかさせない。







大きく一つ息を吸う。
手はもう震えてなんかいないから。






千秋は目の前の白いドアをノックした。
コンコンと、軽く丁寧な音が春風の中に響いた。






fin












あと言い訳。

GH漫画版3巻に登場する笠井千秋嬢の一人称小説。
千秋さんの小説、私、初めて見ました。
かなり異色ですね。不安です。
安原さんの誕生日も無視して書き上げてしまいました卒業式小説。
安原さん誕生日おめでとー!!(ここで言うな)

2004.3.1